天正18年(1590年)の秀吉の小田原平定にあたって光明寺に送られたものである。秀吉軍への参陣を示していた里見義康が、北条方の東金城主酒井氏の支配する富田郷に軍勢を出して、北条方へ攻撃を加えていたことを示す史料である。文面は光明寺の所領安堵と治安維持を約束したものである。
この里見義康の「禁制」は、本市には数少ない中世文書である。
富田之郷同光明寺加倍之事
申上候、其段意得候、若狼藉之
仁有之付而者可申上候、可行其科
者也、仍如件
庚寅
卯月廿日
(富田之郷同光明寺加倍之事申上ケ候、
其ノ段意得候、若シ狼藉之仁レ
有ルニ付テハ申上ケ可ク候、其科行フ
可ク者也、仍テ件ノ如シ
庚寅 卯月廿日)
所在地 : 山武市富田
指定日 : 2002年3月25日