お竹取りの行事
旧暦の9月7日、八幡宮の祭礼の御旗を結ぶ御神竹を東金の御殿山から八幡宮への奉納の行事をいう。
この祭礼は、いざりばた(県指定有形民俗文化財)で織られた御旗を御神竹に結び災難、厄除けとしての神事である。祭礼の一つであるお竹取りの行事は徳川家康が東金に御殿を造営し、鷹狩におもむいたさい、八幡神社に参詣になり、その時東金の御殿山から御旗竹を奉納されたことが初めとなったといい伝えられる。これが例となり現在も続けられている。
尚、祭礼の服装は上着(保存会ハッピ)、下着(ステテコ)を着用し、当番制により、8から16人位で行う。
お竜頭の舞
お竜頭の舞は、大獅子、子獅子、女獅子の3頭で弓旗を先導に十二番、四方固め、弓くぐり、橋がかりの四舞を舞う獅子舞であり、源頼朝によって疫病退散のために奉納されたのがその始まりと伝えられている。現在では旧暦の9月9日、八幡宮の祭礼の時に舞われている。
この舞に使われるお竜頭は現在も社宝として社殿に祭られており、鎌倉時代の作と伝えられている。
曙の祭典
八幡大神、天照大神、春日大神の三社大神に古来からの献立表にもとづく料理(神饌)をささげる儀式である。
1月13日と旧暦9月8日の2回行われている。早朝3時頃から当番の氏子が神饌用の料理をし、6時頃から大太鼓の合図とともに宮司を始め役付の者、招待者が神前に座し、奏楽に合わせて祭典が執り行われる。
式典後直会で一同その料理を頂く。(旧9月8日は黒豆のこわめし)
「あげ飯」の行事
源頼朝は治承4年(1180年)、当八幡神社に武運長久を祈願し白旗を奉納したと伝承されているが、頼朝は大願成就の後、健久3年(1192年)、将兵300騎を従えてお礼参りをしたという。その時の将兵の接待に出されたのが「あげ飯」とされている。「あげ飯」の行事は現在でも旧暦の9月7日の夜に行われており、1斗笊の白米5升程を釜の湯のたぎっている中に入れ、柄の長いしゃもじでかきまわして炊く。米粒にしんが少しあるうちに急いで笊を上げ釜の蓋に押しつけ(2分位)後櫃又は桶にあけ風の入らぬ様蓋をしておく。この様に独特の調理の方法をとっている。
所在地 : 山武市白幡
指定日 : 1982年6月24日