江戸時代の元禄期、俳諧は松尾芭蕉によって文芸としての位置を確立された。芭蕉は没後「俳聖」として崇拝され、その50年忌、100年忌などを期にその崇拝者たちによって各地に芭蕉句碑が建立された。
この芭蕉句碑は150年忌(天保14年)を記念して、3年早い天保11年(1840年)に当地の俳諧愛好者たちによって建立されたものである。句碑の「ほととぎす鳴くや黒戸の浜ひさし」は貞享3年(1686年)の作とされ、裏面には建立の中心となった勝覚寺44世真応など催主の名が刻されている。
なお、この句碑建立を記念して、天保13年(1842年)には句集『浜ひさし』も出版されている。この出版の中心となった求名村(東金市)の五倉庵行木有隣(現在は鵜沢姓)の子孫鵜沢家にはその板木も現存している。
所在地 : 山武市松ケ谷
指定日 : 1985年7月29日