享保12年、成東津辺境橋(大橋)の架け替え工事を監督した代官手代酒井修敬は、道学(山崎闇齋・佐藤直方の門流の朱子学)を信奉していた。修敬は、橋の完成を機に、成東・津辺の両村の名主に、好学の士を尋ね、鈴木荘内(養察)と和田守道(儀丹)の2人を見いだし、同門の稲葉迂齋の許で修行するように薦めた。これが、上総道学「酒井氏に始まる」と黙齋が『姫島講義』に記している所以である。
鈴木養察は、元禄8年(1695年)姫島村に生まれ、安永8年(1779年)85歳で没した。迂齋の許で数年間の勉学の後姫島に帰り、「姫島学舎」なる塾を開いた。上総八子の筆頭に挙げられ、和田儀丹と共に上総(南総)道学の先駆者である。
姫島の共同墓地に、姫島学舎を継いだ孫の鈴木庄内(養齋)と並んで墓碑がたっている。
所在地 : 山武市姫島(共同墓地)
指定日 : 1985年3月23日