谷文晁は宝暦13年(1763年)江戸に生まれた文人画家。
田安家の家臣で漢詩人谷麓谷の子。姓は大伴、通称文五郎、初名文朝、のち文晁。関西文人画に対する江戸文人画壇の重鎮となった。
鈴木家の先祖庄内(養察)は江戸の稲葉迂齋に最初に入門した一人であり、この地に上総道学の根づく契機となった「上総八子」の一人であるが、その孫庄内(養齋)も稲葉黙齋に入門すると共に文人画をよくし画家を志したこともあった。鈴木家にはこの掛軸の外に文晁画とされる画帖も残されており、庄内(養察)が文晁門下であったとも推測される。
所在地 : 山武市姫島
指定日 : 1985年3月23日