九十九里浜(くじゅうくりはま)とは
九十九里浜は、「旭市(旧飯岡町)刑部岬(あさひし(きゅういいおかまち)ぎょうぶみさき)」から「いすみ市(旧岬町)太東岬(たいとうみさき)」のあいだ66キロメートルの海岸(かいがん)をいいます。
源頼朝(みなもとのよりとも)が太東岬(たいとうみさき)から刑部岬(ぎょうぶみさき)の間(あいだ)を6町(ちょう)を1里(り)とし、1里ごとに矢を立てたところ99本にたっしたことから九十九里(くじゅうくり)とよぶようになりました。
九十九里浜(くじゅうくりはま)のちょうど真ん中は山武市(さんむし)!?
1町は約109メートル。計算すると6町×109メートル×99里=64,746メートルでほぼ一致(いっち)します。
『蓮沼村由来分地録(はすぬまむらゆらいぶんちろく)』に「六町を一里に積(つも)り」や九十九の半分にあたる、49本目の矢を蓮沼の箭挿(やさし 矢指ともいう)神社に奉納(ほうのう)したと書かれているなど、後世の作為も伺えますが、九十九里浜のへそは山武市蓮沼(はすぬま)です。
九十九に関係した地名(ちめい)
九十九里浜には九十九をいしきした地名があちこちに見うけられます。山武市のとなりの九十九里町(くじゅうくりまち)、大網白里町(おおあみしらさとまち)、白子町(しらこまち)などがそうです。
白は百に『一』が足りないことから九十九を指します。ちなみに、九十九歳のお祝いを白寿(はくじゅ)と言います。
九十九を「つくも」と読む理由
百は「もも」とも読みます。つまり百に次ぐ(つぐ)「ツグモ」が訛り(なまり)「ツクモ」と呼ぶようになりました。
九十九のもう一つの意味(いみ)
九十九折り(つづらおり)・九十九湾(つくもわん)・九十九島(くじゅうくしま)のように「多く」「たくさん」をさす言葉です。