文化財・歴史

妙宣寺の史跡

妙宣寺の史跡

 山武市埴谷に所在、当山は日蓮宗に属し、康安元年(1361年)埴谷城主、埴谷備前守重義公(はにやびぜんのかみしげよし)の建立で、その子、日英上人により開山。
 大丞山妙宣寺と言い、有名な「鍋冠日親」の霊跡として世に知られています。日親は、埴谷大丞左近将監重継(はにやだいじょうさこんしょうげんしげつぐ)の次男として応永14年(1407年)ここ埴谷の地に生れ、幼名を虎菊麿と称しました。幼児期は日英上人の教えを受け21歳で上洛、「立正治国論」を時の将軍足利義教に進言、法華信仰をすすめたため、将軍の怒りにふれて入牢させられるなど数々の迫害を受けます。中でも真っ赤に焼けた鍋を頭からかぶせられても信念を通したので、人々に「鍋冠日親」と讃えられるようになりました。境内に応永8年(1401年)の板碑や「なべかむり日親」の歌碑があります。

 また、日親上人の産湯に使われたとされる井戸が、寺の西北300メートルのところにあり「星降り井戸」とも言われています。井戸の西北には、土塁と妙見様の社を残す埴谷城跡があります。

 なお日親上人像を安置する親師堂の北側にある墓地には、当時の睦岡村出身のアララギ派歌人である蕨眞一郎(蕨眞:けっしん)・蕨直治郎(蕨橿堂:わらびきょうどう)・蕨一郎(蕨桐軒:わらびどうけん)の墓所があります。

所在地 : 山武市埴谷
指定日 :1976年3月22日

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