文化財・歴史

長光寺の日禅上人坐像

「長光寺の日禅上人坐像」の画像 日禅は現在の千葉市若葉区中田の地にあった長光寺を寛文9(1669)年に埴谷へ移転させた人物です。この座像は、延宝5(1677)年に没した日禅の没後三年の造像であることが像の底にある墨書に書かれています。造像は鎌倉の今井善右衛門吉次であり、碑文谷法華寺等の造仏を担当した当代一級の仏師です。現存する日禅の像は当像が唯一になります。
  日禅は日蓮宗の有力寺院碑文谷法華寺の十四世貫首であり、養安寺檀林の第二世化主でもあったが、徳川幕府による不受布施派弾圧の余波で中山法華経寺末の埴谷妙宣寺が廃寺同然となった時に、当地区の日蓮宗檀信徒を守るために宗派の命を受けて埴谷に派遣された人物です。困難を極めた復興の様子は日禅自身が書き残した「長光寺ヲ當地二引移スノ縁起」(埴谷鈴木家文書)に詳細に記されています。
 しかしながら、日禅が主宰した日蓮宗悲田派も不受布施派に次いで幕府より弾圧され、その碑文谷法華寺や谷中感応寺は天台宗に改宗を余儀なくされました。当像の開眼導師の野呂二十五世の日遼師も谷中感応寺(現在天台宗天王寺)の貫主として八丈島に流罪となっています。
 当像は地域の仏教文化に大きな役割を果たし、さらには江戸初期の不受布施派・悲田派弾圧という大きな宗教事件に関連した人物の肖像です。

指定日:2011年9月13日

詳細
種別 有形文化財 彫刻 材質 木造(檜材) 玉眼嵌入
像高 46.2センチ 年代 延宝8年(1680) 江戸時代
坐奥 38.9センチ 管理者 長光寺 山武市 埴谷1175 
構造 寄木造    

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