文化財・歴史

覚眼法印の墓

覚眼法印の墓

 山武市松ケ谷の勝覚寺の一隅に、江戸期の儒学者荻生徂徠とゆかりの深い下横地円頓寺(現在廃寺)の住職、後には勝覚寺の住職となった覚眼法印の墓石がある。

 荻生徂徠は、延宝7年(1679年)14歳の時、父荻生方庵が将軍綱吉(当時館林候)の勘気を蒙り、茂原市本納に流された際に一家と共に本納に移住、青年時代の大半を過し、独学自習して後に高名を得たと言われ、この地が「荻生徂徠勉学の地」として千葉県指定史跡となっている。

 其の後、天和3年(1683年)徂徠18歳の時、一家は本納より下横地に移住し、円頓寺に居った覚眼法印から庇護や援助を受けた。この地で没した徂徠の祖母は同寺に埋葬され、徂徠も覚眼法印から『四書大全』を借り勉学をした。
 徂徠は後年、松ケ谷の萬徳山勝覚寺住職となった覚眼法印のために、同寺釈迦堂再建を讃える縁起書を自ら書き記している。

所在地 : 山武市松ケ谷
指定日 : 2002年3月25日

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