鍋専用ネギの鍋専用ネギの「なべちゃん」「なべちゃん」赤いネギの赤いネギの「Sugary RED」「Sugary RED」り土〟と〝防砂〟という真逆の対策が余儀なくされたのだ。中尾さんは頭を悩ます日々が続いた。しかし、エンジニア時代に培ったチャレンジ精神と探究心でこの難題を打破し、着々と生産ノウハウを築いていった。そして中尾さんが作る「リーキ」の品質の良さと美味しさが同業者の間で広まり、他の生産者さんが視察に来るほど、「リーキ」はシュガリーの看板商品にまで成長していったのだ。中尾さんの仕事はネギを作ることだけではない。まだまだ知られていない「リーキ」を販売することも大切な仕事だ。自身のことを生産から販売までを手がける「プレイングマネージャー」と中尾さんは言う。生産者としての思いやこだわりを知ってもらうことが何より大切だと、その美味しさを伝えるため、料理にもチャレンジしたし、プレゼン資料も何度書き換えたか分からない。地道な営業活動から、徐々に「リーキ」は市場に広まり、様々な販売先から「リーキは美味しい」の声が中尾さんに届きはじめた。生産者としての喜びを実感した瞬間だった。そして今では6次産業化プロデューサーの資格を取得し、全国ネギサミットの視察をはじめ、様々な業界のネットワークと連携しながら、ネギの普及活動に尽力している。元々苦手だった喋りも、随分に話せるようになったのは、慣れないセールストークで鍛えられたのだと、中尾さんは笑って話してくれた。西日に照らされ輝くリーキ畑を眺めながら、ネギ担当を命じられてから今日までのことを振り返る。思いもよらない辞令から、持ち前のバイタリティで駆け抜けた10年だった。作付面積が一気に5倍になって呆然としたこと。忙しさのあまり、体脂肪率が一桁にまで落ち込んだこと。エピソードには事欠かない。でも、一度も辞めたいと思ったことはなかった。「リーキ」との出会いが、中尾さんの人生を変えたと言っても過言ではない。夏の猛暑で成長が遅れたけれど、漸く今年も太くて甘い「リーキ」が最盛期を迎えた。明日も出荷で大忙しだ。 ここれれででもも建建築築会会社社勤勤務務ななんんでですすよよ、僕、僕でかっでかっふふととっっ西洋ネギの西洋ネギの「Sugary ポロ」「Sugary ポロ」なんと市内にある「川島食堂」でリーキを使ったラーメン「浜ネギそば」が食べられるのだ。27(株)エイチテクニカSugaryURL:www.h-technica.jp
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