妙宣寺の史跡

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年3月1日

妙宣寺の史跡 

 山武市埴谷に所在。当山は日蓮宗に属し、康安元年(1361年)埴谷城主、埴谷備前守重義公(はにやびぜんのかみしげよし)の建立で、その子日英上人の開山である。
 大丞山妙宣寺と言い、有名な「鍋冠日親」の霊跡として世に知られている。日親は、埴谷大丞左近将監重継(はにやだいじょうさこんしょうげんしげつぐ)の次男として応永14年(1407年)ここ埴谷の地に生れ、幼名を虎菊麿と称した。幼児期は日英上人の教えを受け21歳で上洛、「立正治国論」を時の将軍足利義教に進言、法華信仰をすすめたため、将軍の怒りにふれて入牢させられるなど数々の迫害を受ける。中でも真っ赤に焼けた鍋を頭からかぶせられても信念を通したので、人々に「鍋冠日親」と讃えられるようになった。

 境内に応永8年(1401年)下総式板碑ならびに「なべかむり日親」の歌碑がある。

 また、日親上人産湯の井戸が寺の西北300メートルのところに現存し「星降り井戸」とも言う。井戸の西北台地一帯は周土塁跡と妙見様のやしろを残す埴谷城跡がある。なお昭和63年10月、日親上人像を安置する親師堂が建立された。その北側の墓地にアララギ派歌人蕨眞(わらびしん)・蕨橿堂(わらびきょうどう)・蕨桐軒(わらびどうけん)の墓所がある。

所在地 : 山武市埴谷
指定日 :1976年3月22日