トップページ > 組織で探す > 生涯学習課 > 稲葉迂齋書跡・稲葉黙齋書跡(姫島)

稲葉迂齋書跡・稲葉黙齋書跡(姫島)

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年3月1日

稲葉迂齋書跡・稲葉黙齋書跡 

 稲葉迂齋は、山崎闇齋の高弟佐藤直方(崎門の三傑の一人)の門下で、藤門の三子の一人と評されている。黙齋の父で貞享元年(1684年)生まれ、次子の黙齋を介して『墨蹟八道』(迂齋が書した孔子・孟子・朱子等儒学の先賢8人の語の墨跡八葉)を上総八子に1枚宛与えたのは宝暦2年(1752年、69歳)のことであった。宝暦10年(1760年)に77歳で没している。

 鈴木養察(荘内)は迂齋に学び、「姫島学舎」なる塾を開いた。またこの塾を嗣いだのは、黙齋に入門した孫の鈴木養齋(庄内)であった。こうした事情で鈴木家には、迂齋・黙齋父子の書跡が残されているのである。
 迂齋の書は、山名玉山、吉川惟足、玄旨(細川幽齋)、沢庵、齋藤三友、松浦鎮信等6名の和歌を書写したもので、寛政戌午年5月8日(寛政10年、1798年)に黙齋が極書して、鈴木家に贈ったものであろう。
 黙齋の書は、寛政3年12月下旬「白鹿洞書院掲示」(朱子が白鹿洞書院に定めた儒学を志す人達の心得を説いた「論語」ふうの標語)を講義した折に書写したものである。

青雲白石聊同趣 霽月光風更別傳
 寛政辛亥臘月念後 講白鹿洞掲示写之
                     信(花押)

所在地 : 山武市姫島
指定日 : 1983年5月24日