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稲葉黙齋「姫島講義真蹟書」

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年3月1日

稲葉黙齋「姫島講義真蹟書」 

 山武市根倉の熱田家所蔵の『稲葉黙齋先生姫島講義真蹟書』は、父迂齋の門人上総八子に、黙齋が与えた『姫島講義』の素稿である直筆を装丁したものである。

 これは、姫島の鈴木養察に与えたものであろうか。伝承の由来は不明である。
 享保12年(1727年)酒井修敬の薦めに従って、和田儀丹・鈴木養察の2名が稲葉迂齋に道学(山崎闇齋学派の朱子学)を学んでから、寛延3年(1750年)頃までの二十余年の間に、鈴木兵右衛門(折戸)、布留川弥右衛門(片貝)、平山安左衛門(早船)、安井武兵衛(成東)、安井半十郎(記齋、小松)、鵜沢幸七郎(近義、清名幸谷)、桜木清十郎(勝「齋、東金)の7人が迂齋に入門した。(鈴木養察以下の8名を上総八子という)

 降って宝暦2年(1752年)秋、数え21歳になった迂齋の次男黙齋は、上総山辺郡清名幸谷を訪れて、鵜沢近義宅で『姫嶌口義』を著した。これは鈴木養察の「姫島学舎」で、上総八子に講義を行う予定であったものが、鈴木家の不幸事で所期の目的を達することができず、代わりにこの『姫嶌口義』を認めたもので、後に上総八子の各家に配布した『姫島講義』の基になったものである。
 上総道学の発祥の由来と、道学の標的と勉学の指針が明示され、併せて青年期の黙齋の実像を示す、貴重な資料となっている。

所在地 : 山武市根蔵
指定日 : 1982年6月24日