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長光寺の日禅上人坐像

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年4月24日
日禅上人坐像  日禅は長光寺の埴谷移転の発起者であり、中興第一世である。その没後三年の造像であることが墨書銘により知られる。造像は鎌倉の今井善右衛門吉次であり、碑文谷法華寺等の造仏を担当した当代一級の仏師であった。現存する日禅の像は当像が唯一。                                                                                                                                                                                                                         日禅は日蓮宗の有力寺院碑文谷法華寺の十四世貫首であり、養安寺檀林の第二世化主でもあったが、徳川幕府による不受布施派弾圧の余波で中山法華経寺末の埴谷妙宣寺が廃寺同然となった時に、当地区の日蓮宗檀信徒を守るために宗派の命を受けて埴谷に派遣された人物である。困難を極めた復興の様子は日禅自身が書き残した「長光寺ヲ當地二引移スノ縁起」(埴谷鈴木家文書)に詳細に記されている。日禅は最終的に野呂妙興寺の末寺長光寺を千葉市中田町より寛文9年(1669)に移転して当地方の日蓮宗地盤を守った。
 しかしながら、日禅が主宰した日蓮宗悲田派も不受布施派に次いで幕府より弾圧され、その碑文谷法華寺や谷中感応寺は天台宗に改宗を余儀なくされた。当像の開眼導師の野呂二十五世の日遼師も谷中感応寺(現在天台宗天王寺)の貫主として八丈島に流罪となっている。
 当像は近世に降る造像であり、地域の仏教文化に大きな役割を果たした人物の唯一の肖像として、さらには江戸初期の不受布施派・悲田派弾圧という大きな宗教事件に関連した人物の肖像である。
  指定日:2011年9月13日

  

種別有形文化財 彫刻材質木造(檜材) 玉眼嵌入
像高46.2センチ年代延宝8年(1680) 江戸時代
坐奥38.9センチ管理者長光寺 山武市 埴谷1175 
構造寄木造